田上町(歴史)概要: 田上町は信濃川に隣接していた事から比較的に生活し易かった環境だったとされ縄文時代中期には既に人々が定着していたと考えられています。縄文時代後期から弥生時代、古墳時代と時代的には連続して遺跡、遺物などが発見されてそれらを証明しています。平安時代に入ると護摩堂山周辺には数多くの寺院が創建され大きな勢力を持っていましたが南北朝の争乱などの兵火で多くが焼失し現在は東龍寺など極僅かな寺院が再興されるに至っています。
又、山頂には応徳年間(1084〜1087年)に生田周防守吉豊が護摩堂城を築城、前九年合戦の際は安倍貞任の残党が立て籠もり追討軍を指揮した黒鳥兵衛によって落城しています。護摩堂城は暫く廃城になっていましたが元徳2年(1330)、平賀盛義(源義光の子供)が再築し以後、歴代領主の居城となっています。この地は戦略的拠点としても重要視され応永の乱、永正の乱、亨禄・天文の乱、上杉遺臣一揆など度々戦場となり大きな役割を果たしています。江戸時代に入ると湯田上温泉が修行僧により発見され開湯、江戸時代後期には新潟県を代表する豪農田巻家が発展し千町歩を越える田畑を所有し大きな影響力を持ちました。
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