無為信寺(阿賀野市)概要: 佛性山金剛院無為信寺は新潟県阿賀野市下条町に境内を構えている浄土真宗大谷派の寺院です。無為信寺の創建は鎌倉時代の文永年間(1264〜1275年)に親鸞聖人の高弟24人の1人無為信房(武田信勝は父親:武田信義と母親:鹿島神宮の大宮司権頭の娘の子供、親鸞上人が常陸稲田時代に帰依し門徒となった)が開山したのが始まりとされています。
創建当初は会津門田一ノ堰(現在の福島県会津若松市門田町一ノ堰)にありましたが棚倉藩主内藤家の庇護を受けると棚倉(福島県棚倉町)に移り、内藤家が駿河田中藩(静岡県藤枝市)に転封となるとそれに随行しました。
その後、本堂の焼失や跡継ぎいなかった事などから東本願寺(京都府京都市)の預かりとなっていましたが宝暦11年(1761)に水原の豪農佐藤伊左ェ門が尽力を尽くし現在地に再興しました。再興当時は新寺建立禁止令が出されていた事もあり柄目木にあった蓮入寺を無為信寺と改称することで幕府の許可を得ました。明治初期には東本願寺の講師を務めた「徳龍」、「行忠」という2人の名僧を輩出し境内には墓碑が建立されています。
大正2年(1913)の火災により本堂と客殿が焼失しましたが、無為信寺は現在も数多くの寺宝を所有し文化財指定されています。無為信寺本堂は昭和13年(1938)に造営されたもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行7間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、棟梁は名工として知られた伊藤平左衛門。山号:佛性山。院号:金剛院。宗派:浄土真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来。真宗二四輩旧跡(親鸞聖人二十四輩寺院)。
無為信寺の文化財
・ 金剛頂経蔓珠室利菩薩五字心陀羅尼品(淳祐筆)−平安末期−国重文
・ 悉曇集記上中(淳祐筆)−平安末期−淳祐が書いた写経の一つ−国重文
・ 藤原氏系図(隆家流)−室町初期−縦27cm、全長10.61m−国重文
・ 古論草(289冊)−鎌倉〜室町−法隆寺講会堅義用の写本−新潟県指定
・ 方便法身尊像−室町前期−阿弥陀仏の絵形尊像−新潟県指定文化財
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