糸魚川市(歴史)概要: 糸魚川市周辺は古くから開けていたとされ奴奈川姫と大国主命の伝説の舞台となっていた地域と言われています。糸魚川市内には奴奈川神社、青海神社、天津神社、白山神社などが延喜式神名帳に記載されていた式内社とされ伝説を裏付けるような由緒をもっています。
中世に入ると長尾氏が支配し、北陸街道と糸魚川街道(千国街道)の結束点だった事から軍事的拠点として重要視され勝山城、根知城などが築城されました。戦国時代後期になると上杉謙信が領主となり根知城には武勇で名高い村上義清を城主にするなど支配を固めますが跡を継いだ上杉景勝が会津若松に移封すると廃城となります。
新たに堀清重が清崎城を築き糸魚川市内周辺を支配し、歴代領主には一族や有力家臣を配置していましたが天和元年(1681)に越後騒動がおきると当時の高田藩主松平光長が改易となり支城だった清崎城は廃城となりました。
その後元禄4年(1691)に有馬清純が5万石で入封し糸魚川藩を立藩、元禄8年(1695)に越前丸岡藩へ移封されると天領、本多氏、松平氏と続きますがいずれも石高が低く城格大名ではなかった為、小規模の陣屋を構えるのみでした。
特に8代続いた松平氏は1万石の石高ながら定府大名だった為、自らの領地で采配を振うこともなく陣屋に郡代を置きましたが藩政は安定せず享保年間から藩の財政が逼迫し困窮状態が慢性化した事で沖の口役銀騒動や黒川騒動などが勃発し、明治維新後も林騒動や二歩金騒動が起こりました。
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